メッセージ
- 50周年から130周年へ
中井 美千代(高女32回)
50周年は昭和12年(1937年)、私は高等女学校2年生。祝賀式典には經木(へぎ)包みの赤飯が、全校生徒約1000名に配られました。
今年、輝かしい130周年に93才で巡り会えた幸運を喜んでいます。
この80年間には戦前の良き時代、戦中戦後の困難期やら、高等女学校が中学校高等学校に学制改革、校舎移転もありました。
自分史では企業の職に在った32年間、有形無形に母校の恩恵に預かりました。
自適の現在は、汲温会の行事、総会、新年会、親睦旅行に出席参加を楽しみつつ、親和学園の一層の発展を願っています。 - 親和学園回顧
延岡 隆子(高校4回)
親和学園創立130周年を迎えました。おめでとうございます。
私が親和に入学したのは昭和21年です。母も先輩です。当時は制服も白いカバンもありませんでした。小学校は5分もかからない近くにありましたが、親和へは1時間以上もかけ満員電車に乗り、時には窓からの乗り下りで大変でした。
昭和23年、新制度になり私は中学3年に編入になりました。スポーツが好きでお友達とわいわい騒ぎながらドッジボールを朝早くからしていました。高1の時、河合先生からバトミントン部を作ろうと言われ、神戸市体育課から指導に来られました。仲間と一緒に頑張った甲斐があり、兵庫県女子では1・2番を争うくらいになり、私の学年から国体(昭和25年)に出場するまでになりました。
その後演劇部に誘われ、最初は「父帰る」の兄の役でした。夜の7時頃まで練習をしました。
親友会の役員選挙があり、庶務部長に立候補し当選しました。会長を補佐する仕事で親友会を盛り立ててきました。高3の時、熱海・箱根・日光3泊4日の楽しい修学旅行がありました。皆様もきっと楽しい思い出をお持ちだと思います。
私は長年親和に関わってきました。今現在も汲温会で楽しくして居ます。娘も後輩で親子三代お世話になりました。
永遠(とわ)に栄(は)えあれ親和万歳。 - 親和学園の学恩を感じつつ
加藤 昌子(高校7回)
私が親和中学に入学したのは昭和24年、終戦後4年足らずというまだまだ復興の途中という落ち着かない社会情勢の時代に中学1年生として校門をくぐった。
幸い空襲の被害から逃れた校舎は、戦争中どのビルもそうであった様に外壁面全体が黒く塗られていたが、その例にもれずわが校舎も黒く塗られたままであったが、建物の内部はどっしりとした重厚なものだった。殊に講堂は天井からシャンデリアが下がり、椅子も3人から4人掛でビロード布が貼られた大変座り心地の良いもので、何か贅沢さを感じたものだった。
その校舎で何の心配をすることもなく、諸先生方に見守られつつ、多くの友達と楽しく中高の学生生活を6年間過ごすことが出来たのは、非常に幸せなことだったと感謝と共に親和学園の学恩を振り返っている次第だ。
その母校が本年130周年というお祝いの年を迎え、喜ばしく誇りに思う。
「女性には教育は必要ない」という風潮の時代に、なみなみならぬご苦労の末、友國晴子先生は女学校を創設された。
私達卒業生は友國先生の建学精神を胸中に日常生活の折にふれて思い出して過ごしていると言っても過言ではないと思う。
少子化時代の現代において私立学校経営は諸問題山積で大変なことであろうかと思うが、この130年という輝かしい伝統と歴史のある我が母校親和学園のますますの充実と発展を望んでお祝いのメッセージとさせて頂く。 - 親和との再会
藤森 美知子(高校19回)
卒業後、東京の大学へ進学、都立高校の教員となり、中堅校・職業高校・進学校・コース制と全く異なる4校に務め、57歳で退職しました。多忙な日々を過ごす間、親和は記憶の彼方にありましたが、教員として思い出す時、正直なところ批判的になることがなかったわけではありません。
退職後、思いがけず汲温会東京支部のお手伝いをすることになりました。支部の縁で再会した同期生や新たに出会った世代の異なる同窓生たちは、関東の荒波に揉まれながらも自分の置かれた場所に根を張って暮らしており、校歌に謳われている三つの教えがいつの間にか私たちの中に培われていることを実感しました。こうして彼女たちを通して母校と再会し、親和を見直すきっかけとなりました。
中学入学から間もない頃、校祖室で恩賀一夫校長先生が「温故知新」という言葉について話されたことが昨日のように思い出されます。白い布の鞄を持ち下山手の校舎に通った6年間、ドラマティックな出来事は少なかったけれど、心の中では色々なドラマがありました。自分の基礎はあの親和の6年間に作られたのだと、古希近くなった今、感慨深く思っています。 - 心の拠り所親和
西本 玲子(高校27回)
親和学園創立130周年おめでとうございます。
母が親和生だったこともあり、私にとって幼い頃から、「白カバン」は憧れでした。12歳の春、母の同期生お手製の白カバンを持ち、私の親和生活がスタートしました。
出口先生や石井先生から、若き日の母の話をよく聞かさせて頂きました。出口先生の初担任が母の高女38回、最後の担任が私達高校27回ということにもご縁を感じております。いつの世代の少女達も先生方から温かく導かれ友人達と時を共有し親和生になったのでしょう。校庭の大きな楠もその歴史を見守ってくれていたと思います。
4名の生徒から始まった学園、様々な時代を越えて迎えた130年。人生の宝物のような同窓生がいる親和。そこに脈々と流れる親和イズム。きらきらと光る青春。いつまでも私達の心の拠り所でありますよう、母校の益々のご発展を心より願って止みません。 - 創立130周年記念に寄せて
吉本 篤子(高校36回)
親和学園創立130周年おめでとうございます。皆さんはどのような理由で親和を受験されましたか。小学生の私には、自分の意志というものはありませんでしたし、おそらく多くの方も私同様親が選んだというものではないでしょうか。
私は一度母に、なぜ親和だったのかを問うたことがありました。母曰く「自由な雰囲気だったから。あんたに窮屈は耐えられないだろうから」でした。校舎などは窮屈でしたが、校風は確かに窮屈を感じたことがありませんでした。
おかげで自分の意志をしっかり持つことができ、親の言うことも聞かず、元気いっぱいに育ちました。母は女子校に行くと女の子らしくなり、料理など一緒にして、というようなことを思い描いていたようですが実際はまるで動物で女の子とは程遠いものでしたので、事あるごとに「こんなはずじゃなかった」と言っておりましたが、自由な校風のおかげでどこ吹く風の私でした。大学受験になると、とうとう母は「聖心女子大学の女子寮に入れる」と言いました。女子寮とか行くわけないやん!ということで今に至ります。
狭い校舎に莫大な人数がひしめきあっていたのですが、その中で強く生き残る術を身につけられたように今になって思います。親和の6年間では自分を貫く強さや動物のように生き残る術を得ることができ、それは今の私に大きな力となっています。失敗も多いですが!
いつまでも変わることなく益々の発展を祈念し、お祝いの言葉とさせていただきます。
ありがとうございました。 - 私の大切な原点
西谷 英理(高校39回)
「合格なら封筒が分厚いからね」塾の先生の言葉を思い返しながら校門をくぐり、ドキドキしながら頂いた封筒。思っていた以上に重く、嬉しかったのが最初の親和の思い出です。
片道1時間半の通学を6年間、通学時間が長い分、友達と語り合ったこと数知れず、テスト前は満員電車の中で呪文のように仲間で呟きあった日本史の年号、毎日買ったヒシヤのたまごパンにぞうりパン。土曜日の地下食堂のきつねうどん、音楽室の素敵な階段教室、高1の時の暑かったプレハブ教室・・・どれも思い出深い私の宝物です。
人生の折り返し地点の年になり思うのは、一番多感な時期を親和で過ごすことができたからこそ今の私がある、あの時がなければ今はない。本当にそう思います。
この場をお借りしてお世話になったたくさんの恩師と友達、そして両親に心から感謝いたします。ありがとうございました。
最後になりましたが、私の愛すべき母校の益々の繁栄を心より祈念しております。
創立130周年おめでとうございます。 - 130周年によせて
永井 千鶴(高校52回)
この度は親和学園創立130周年、おめでとうございます。
私が親和を卒業してすでに18年経ちました。
その間大学で学び、社会人として働き、そして結婚して、今は二児の母として忙しいながらも充実した日々を過ごしています。
中学、高校と多感な6年を親和で過ごした事は、本当に私にとって大切なものとなっています。人としての基礎を学んだだけでなく、一生のかけがいのない友を作ることも出来ました。いまでも、根底には親和での日々が息づいていると感じます。
友国晴子先生が明治の半ばまだ女子教育という観念もない時代に親和を立ち上げ、そして私が親和で過ごした六年間の何十倍もの時間を女子教育の為に紡いだことは、素晴らしいことだと思います。
一つのことを持続し、様々な困難を乗り越え成し遂げるということ、この年になってみてその偉大さを実感します。私も、親和で学んだ者として自分に与えられた役割を精一杯、周りへの感謝を忘れず、つとめたいと思います。
これからも晴子先生の建学の精神を忘れないように、後輩達のために繋げて行って頂きたいと思います。
親和学園の更なる飛躍を祈りながら、御祝いの言葉とさせて頂きます。 - 創立130周年を迎えて
森田 みのり(高校65回)
母校である親和中学校・親和女子高等学校が創立130周年を迎えましたこと、誠におめでとうございます。親和を卒業し、神戸を離れても繋がりを持ち続けられ、またこのような機会を頂けることに心から感謝しております。
高校を卒業してからあっという間に5年が経ちました。今でも繋がりを持ち続けられる仲間たちの存在に日々勇気付けられています。久しぶりに会っても、すぐに昔のように戻ることができ、思い出話や、これからの夢を熱く語り合える素晴らしい友人たちに恵まれたことを誇りに思っております。
私は今年の1月に汲温会役員である母とともに汲温会の新年会に初めて出席させていただきました。その中で諸先輩方より暖かいお言葉をかけていただいたことをとても嬉しく感じました。人として女性として目標としたい方々と伝統校である親和が繋いでくれたご縁だと感じております。
私は現在東京で働いておりますが、遠く離れても親和や、親和に携わる人たちを大切に思う心は忘れません。今後も母校の発展を願い、また、私も世界で活躍する女性へと成長したいと思っております。